雑記。

感じたこととか

死にたい夏と幻想の話

6月のはじめに、こんなツイートをした。

恐らくほんと死にたくなるだけなんだけど、でも今年はこれでもかってくらい死にたくなる夏を過ごしたい。
ただただ暑くて、綺麗で、忘れられない夏。思い出すたびにダメージ食らう夏。五感が狂う夏。

夏というのは、憧憬や回想の対象になりがちで、そしてノスタルジアが付き纏いがちである。
恐らく膨大な時間だけが有り余る “夏休み” の存在が大きいのだろうが、季節はここまで思い出のラスボス的な存在になり果てるものなのか。

まぁ例外なく私自身もその餌食となるのだが。


そんな夏に食い散らかされた私の気持ちの悪いツイートを見て欲しい。

猛暑の落ち着いた夕方、特に待ち合わせもせず浴衣で夏祭りへ赴き、ヒヨコや金魚や綿あめの屋台の間をぼんやり眺めながら歩きたい。
喧騒を遠くに感じた頃にはいつの間にか神社の境内にいて、赤と青の入混じった空にただ覆われていたい。
そして気付けば辺りは真っ暗で、ふと仰いだ満天の星に圧倒されたい。

急に “スイカがたっぷり入ったフルーツパンチ” が食べたくなって、気乗りしない友人を誘ってスーパーに買出しに行きたい。
案の定スイカもサイダーもフルーツ缶も重くて、暑い暑い帰り道、すごい顔でひたすら文句を言う友人を(好きだなー)とか思いながら宥めていたい。
やっとの思いで帰宅したものの、どう頑張ってもスイカが冷蔵庫に入らなくて、思わず顔を見合わせて同時に吹き出したい。
一通り笑い転げた後、透明なボウルにたっぷり氷を入れて、お互い無言でニヤニヤしながらスプーンを口に運んでいたい。

夜の静かな水族館に行きたい。
くらげコーナーの変なイルミネーションの前でひたすらボーっとしたい。
忌むべきホタルノヒカリを聴きながら、涼しくて水気の多い歪んだ空間に長くいすぎて季節感がなくなった体を無理やり動かして、外に出た瞬間熱帯夜を全身で感じて少し安心したい。

うだるような暑さの真昼間、夏バテで畳の上に倒れてるところに友人が急に現れて「水遊びするよ」と真顔で誘われたい。
半ば無理やり連れられ、水鉄砲を渡されてようやくやる気が出たところ、バケツで思い切り水をぶっかけられいきなり戦意喪失したい。
そしてその後ホースで反撃して、全力で水風船をぶつけ合いたい。
全身びしょ濡れになって、持ってきたタオルも濡れちゃって、ひとしきり笑い転げたあと、しばらく放心したい。
そして蝉時雨を全身に浴びていたい。

このザマだ。重症である。
こんなことばかり考えてるから根暗だと言われるのだ。


ちなみに実際は「スイカを食べたこと」くらいしか夏ができなかった。
度重なるゲリラ豪雨でイベントというイベントは潰れた。
まぁ現実などそんなものだ(自宅で眠る花火どうしよう)。


しかしこれだけ夏を神格化してしまったものの、夏が去った今秋を目の当たりにするとエキストラボス到来という感じで血の気が引く。

秋は死神の風格が漂う。気温も湿度も緑も全て奪っていく堂々の死神だ。
このまま自分が消えそうな錯覚に陥る。
あぁよもや秋こそが最強の季節なのか。




お題「衣替え」