インディゴブルーの果てにあったもの
先月スピッツの30周年ライブに行ったのだけど、未だに醒めなくてやばい。
一曲目から涙が止まらず、途中からは嗚咽も交じり、挙句夜を駆けるのイントロでへろへろと座り込むという完全に頭おかしい人だったけれど、隣にいた友人も似たような状態だったし、まぁ致し方ないのだろう。
私は青春時代をスピッツと共に過ごしすぎた。毎日の通学中、休み時間、ベッドの上。イヤホンを耳にしてプレイボタンを押す、その度に意識は空を飛んだ。
煙の中で溶け合う。
細い糸で繋がる。
シロツメクサになって、シチリアの浜辺の絵葉書を探して、ほんとはちょっと触りたくて、水色のあの街へ行きたくて。
今ならわかる。YじゃなくてPだった。
とか。とか。
あの頃、色々なことが起こり、情緒を揺さぶられ、感じすぎていた毎日。その少しの隙間隙間に挟み込んだたくさんの音楽は、時を超えた今、聴くだけで当時の想いや風景や色を展開する魔物に成り果てた。
時を重ねれば重ねるほど、タイムスリップの行き先は増えていく。
恐ろしくも愛おしい我が人生。