雑記。

感じたこととか

草野マサムネ氏はいつからビブラートを使い始めたのか

スピッツ
大好きですスピッツ


先日ライブに行ってからというもの好き好き大好きが再燃して大変なことになっているのですが、ふと「マサムネ氏ってノンビブラートのイメージ強いけど、最近ガンガンビブラートかけてるよね?」と思いまして。
調べました。聴き比べました全曲。
アルバムを中心に1stから最新のものまで20枚ほど、それぞれの特徴を探るべく聴き比べ&ざっくりまとめてみました。

また、氏といえば甘ったるいフォールも特徴的ですが、そこらへんも注意して聴いてみます。


*ビブラートを中心とした草野マサムネ氏の歌い方の変遷*

■1st スピッツ(1992)
完全ノンビブ。既に甘ったるい特徴的なフォール。声がとても若い。


■2nd 名前をつけてやる(1992)~
ゆらぎ程度のビブラートが入ってくる。曲によってはしっかり入っていたり全くなかったりとバラつきがある。フォールがやたらえろい。


■4th Crispy!(1993)~
ゆらぎ程度のビブラートがAメロを中心により多く入ってくるものの、まだ不安定。サビはハイトーン・ロングトーンの伸びがすごいので必然的にノンビブ。


■Sp 花鳥風月(1999)~
意図的なのか、スローな曲でもノンビブが多くなる。とにかくハイトーン・ロングトーンの伸びがすごい。


■10th 三日月ロック(2002)~
相変わらずハイトーン時は伸び重視でノンビブだが、AメロBメロは短めにビブラートが入ってくる。完全ノンビブ曲も数曲(“スターゲイザー”とか“大宮サンセット”とか)。


■11th スーベニア(2005)~
フォールが激減。“正夢”を最後にぱったり消える。しっかりまっすぐと伸び切るように。


■12th さざなみCD(2007)~
ビブラートが全体に入るようになる。長めのハイトーンには入らないことも。フォールが完全に消える。


■14th 小さな生き物(2013)~
ビブラート覚醒。サビのハイトーン含め全体にも多く入り、かつ美しいビブラートに化ける。何があった。時を重ねるほど綺麗な波に洗練されていく。ああもうなんだこれ、溜息しかでない。



~以 上~




ということで、2013年に何が起きたのかというレベルで革命がおきます。
全然違う歌い方なのですが、とても美しくてただただ震える。。


またノンビブラートのイメージが強かった理由ですが、2012年以前の楽曲は、メインともいえるハイトーン部分がほぼノンビブだったことが要因ぽいです。
マサムネ氏といえば、「ロングトーン・ハイトーンの伸びの気持ちよさ」みたいなとこあったので、伸びを重視していたのでしょう。多分。

あとは消えたフォール。
これに関しては今回聴き比べをしなければ気づきませんでした。
「あ、そういえば最近聞かないね」とは思っていたかもしれませんが、改めると大きな発見でした。


気になる方はぜひ聞き比べてみてください。歌い方全然違って面白いです。



余談;【スピッツの楽曲の中で一番音の高いものはどれか?】

マサムネ氏の特徴ともいえるハイトーンですが、歌詞のある中で一番高いのは恐らくこの3曲(他にもあったら教えてください)。


ドルフィン・ラヴ(Crispy!)
 →自由にお「よ」げたらいいな

涙がキラリ☆(ハチミツ)
 →(大サビラスト)心と心を繋いで「る」

ハネモノ(三日月ロック)
 →思い(望み)通りの生き物に変わ「る」


hiDです。一番高いと思われがちなロビンソン(hiC#)よりも高いです。


体感的には“ドルフィン・ラヴ”が一番高いように聞こえます。というより「高い音出してます」感がダントツ。
逆に“涙がキラリ☆”と“ハネモノ”はもはや自然すぎて…。おそろしや。


こちらからは以上です。
お目汚し失礼しました。

お題「芸術の秋」

死にたい夏と幻想の話

6月のはじめに、こんなツイートをした。

恐らくほんと死にたくなるだけなんだけど、でも今年はこれでもかってくらい死にたくなる夏を過ごしたい。
ただただ暑くて、綺麗で、忘れられない夏。思い出すたびにダメージ食らう夏。五感が狂う夏。

夏というのは、憧憬や回想の対象になりがちで、そしてノスタルジアが付き纏いがちである。
恐らく膨大な時間だけが有り余る “夏休み” の存在が大きいのだろうが、季節はここまで思い出のラスボス的な存在になり果てるものなのか。

まぁ例外なく私自身もその餌食となるのだが。


そんな夏に食い散らかされた私の気持ちの悪いツイートを見て欲しい。

猛暑の落ち着いた夕方、特に待ち合わせもせず浴衣で夏祭りへ赴き、ヒヨコや金魚や綿あめの屋台の間をぼんやり眺めながら歩きたい。
喧騒を遠くに感じた頃にはいつの間にか神社の境内にいて、赤と青の入混じった空にただ覆われていたい。
そして気付けば辺りは真っ暗で、ふと仰いだ満天の星に圧倒されたい。

急に “スイカがたっぷり入ったフルーツパンチ” が食べたくなって、気乗りしない友人を誘ってスーパーに買出しに行きたい。
案の定スイカもサイダーもフルーツ缶も重くて、暑い暑い帰り道、すごい顔でひたすら文句を言う友人を(好きだなー)とか思いながら宥めていたい。
やっとの思いで帰宅したものの、どう頑張ってもスイカが冷蔵庫に入らなくて、思わず顔を見合わせて同時に吹き出したい。
一通り笑い転げた後、透明なボウルにたっぷり氷を入れて、お互い無言でニヤニヤしながらスプーンを口に運んでいたい。

夜の静かな水族館に行きたい。
くらげコーナーの変なイルミネーションの前でひたすらボーっとしたい。
忌むべきホタルノヒカリを聴きながら、涼しくて水気の多い歪んだ空間に長くいすぎて季節感がなくなった体を無理やり動かして、外に出た瞬間熱帯夜を全身で感じて少し安心したい。

うだるような暑さの真昼間、夏バテで畳の上に倒れてるところに友人が急に現れて「水遊びするよ」と真顔で誘われたい。
半ば無理やり連れられ、水鉄砲を渡されてようやくやる気が出たところ、バケツで思い切り水をぶっかけられいきなり戦意喪失したい。
そしてその後ホースで反撃して、全力で水風船をぶつけ合いたい。
全身びしょ濡れになって、持ってきたタオルも濡れちゃって、ひとしきり笑い転げたあと、しばらく放心したい。
そして蝉時雨を全身に浴びていたい。

このザマだ。重症である。
こんなことばかり考えてるから根暗だと言われるのだ。


ちなみに実際は「スイカを食べたこと」くらいしか夏ができなかった。
度重なるゲリラ豪雨でイベントというイベントは潰れた。
まぁ現実などそんなものだ(自宅で眠る花火どうしよう)。


しかしこれだけ夏を神格化してしまったものの、夏が去った今秋を目の当たりにするとエキストラボス到来という感じで血の気が引く。

秋は死神の風格が漂う。気温も湿度も緑も全て奪っていく堂々の死神だ。
このまま自分が消えそうな錯覚に陥る。
あぁよもや秋こそが最強の季節なのか。




お題「衣替え」

インディゴブルーの果てにあったもの

‪先月スピッツの30周年ライブに行ったのだけど、未だに醒めなくてやばい。‬


一曲目から涙が止まらず、途中からは嗚咽も交じり、挙句夜を駆けるのイントロでへろへろと座り込むという完全に頭おかしい人だったけれど、隣にいた友人も似たような状態だったし、まぁ致し方ないのだろう。


私は青春時代をスピッツと共に過ごしすぎた。毎日の通学中、休み時間、ベッドの上。イヤホンを耳にしてプレイボタンを押す、その度に意識は空を飛んだ。


煙の中で溶け合う。
細い糸で繋がる。
シロツメクサになって、シチリアの浜辺の絵葉書を探して、ほんとはちょっと触りたくて、水色のあの街へ行きたくて。


今ならわかる。YじゃなくてPだった。


とか。とか。


あの頃、色々なことが起こり、情緒を揺さぶられ、感じすぎていた毎日。その少しの隙間隙間に挟み込んだたくさんの音楽は、時を超えた今、聴くだけで当時の想いや風景や色を展開する魔物に成り果てた。

時を重ねれば重ねるほど、タイムスリップの行き先は増えていく。
恐ろしくも愛おしい我が人生。


お題「もう一度行きたい場所」

パンとエスプレッソと死と野望(日記)

✴︎パン

朝、少しテンションが上がって、たまごサンドを作った。
半熟のゆで卵を崩して、少量のマヨネーズとたっぷりの粗挽きコショウで和え、食パンに挟んだら重石をし、少し冷蔵庫で寝かしてからカットしていく。
意外と手の掛かる子ね、と思いながら頬張った。スープがとても合う。

「それからはスープのことばかり考えて暮らした」という吉田篤弘の小説を思い出した。
彼のような、穏やかな青年に憧れる。

✴︎エスプレッソ

昼過ぎ、サラダをコンセプトにしたカフェで昔の友人に会う。
2年ほど同じコミュニティに属していたにも関わらず、私は彼女のことを殆ど知らなかった。当時の私、一体何をしてたんだろう。
色々やっていたつもりでいて、実は何もしていなかったのかもしれない。

彼女との時間は、食器や食材や異国の料理の話で埋め尽くされた。
「食」を大切にし「食」に関わる学科同士だったので無理もない。
「食」は生活の一部で、そしてコミュニケーションにも成り得るのだ。素晴らしいな。

彼女からいただいたウイーン土産の中に、サラダの雑誌があった。
私がサラダ好きなのを知ってくれていたという。
人が求めるものをあげられる人になりたいものだ、としみじみ思った。

店を出た後は、2人してお箸や陶磁器のギャラリーショップへ吸い込まれた。
食事に馴染み、そしてひとの肌にも馴染むようにデザインされている “塗り” や “焼き” には、本当に惹かれる。
こんな素敵な食器で毎日のごはんが食べられたら、きっと幸せだろうな。 料理も頑張っちゃうな。

✴︎死

夕方、カプチーノのお店へ。
よしもとばななのエッセイを読もうと思っていたけれど、隣のおじさん(おじいさん?)同士の会話が気になって、「野望」という言葉くらいしか頭に入ってこなかった。
「誰々が死んだ」「昔はみんな◯◯だった」…彼らの話にはなかなか “今” が出てこない。私も歳を取ったらこうなるのだろうか。
そもそも、私は死ぬまでになにがしたいだろう。私の「野望」は?
いつ死ぬかもわからないのに、少しばかりふんわりと生きすぎなのでは、と少し落ち込む。
私が本当にしたいことはなんだろう。どう生きたいのだろう。

そんなことを思っていたら、彼らは “今” の話をしはじめた。
どうやら聞く限り、彼らは楽しくやっているようだ。少し安心する。
「PCで同人誌が作れる今は本当にいい時代だ」そんな話が出た頃、私は親知らずとサヨナラする為に席を立った。

✴︎野望

抜歯後、120年続く老舗本屋に立ち寄った。
そこは建築物として非常に美しく、またそこには様々なジャンルの本が大量に、そしてあるべき場所にしっとりと存在していた。

凄いと思ったのは、心が求める本の所にいつの間にか辿り着いてしまう、そんな不思議な空間だったことだ。
この世にこんな世界があるのか、と少しじーんときてしまった。こんな素敵な場所に、いつだって行くことができるだなんて。

私は世界の広さ、そして世界そのものの多さを実感し、安心した。
これならきっと、どんなことがあっても大丈夫。どこにだって行ける。そんな気がしたのだ。
私は、たくさんある世界と世界の間を、その広い世界の中を、ふわふわと漂っていたいだけ。

松浦だるまの「累」のような力強い野望があれば色んな私が実現するんじゃないか、とも思うけれど、今の私には切実な野望は必要じゃないのかもしれない。

ただ静かに、平穏に暮らしていたい。




それからはスープのことばかり考えて暮らした (中公文庫)

それからはスープのことばかり考えて暮らした (中公文庫)

パイナップルヘッド (幻冬舎文庫)

パイナップルヘッド (幻冬舎文庫)

お題「朝ごはん」

特別な金曜日。

‪退勤後、週末特有の軽い足取りで夕飯の買出し。‬
友達と電話しながら、今日の夕飯と作り置きのおかずを作る。
空腹に耐えられなくなったあたりでごはんが炊けて、夕食。
食器を洗って、シンクの掃除。
作り置きの残りを完成させたら、夜のプチお出かけ。BOOK CAFEでカフェラテをお供に読書。
気分も上がって、帰宅後はクローゼットの整理。
揃ったシャツを眺めて、満足げに息をつく。
お風呂を沸かしている間に、水回りの掃除。
お気に入りの入浴剤を入れた浴槽で、週末やりたいことを反芻する。
温まった体に、クリームを塗りこむ。

あとは寝るだけなのだけれど。
でも少し、あともう少しだけ、夜更ししたい気分。

そんな私の、特別な金曜日。

私の赤い子

最近、頭の中で金魚を飼っている。

その金魚は、ただただ美しい、観賞用の金魚。
びいどろの中、フナとは程遠い体つきで、儚いひれを揺蕩わせている。

彼女はいつも自慢する。
「あたし、お空を飛べるのよ」

私はいつもこう答える。
「そう。私は綺麗な着物を着れるけど」

「そう、あたしとおんなじね」彼女はふふ、と笑って、くるりと廻る。

私は跳ねた一粒の水滴を拭う。

「好き」とかいう気持ちのいい台詞

“好き”を前面に押し出したいけれど、“好き”は滲み出るものだと思うし、多分そっちの方がドキドキするから、ちょっと抑えていた方が気持ちいいかもしれない。

少しの我慢、小さい幸福。
あぁ、でも大好き。大好きなの。